人間は、幸せになるために生きているのだ。 この国のお偉いさんも俺たちみたいな下っ端も武士も商人も農民も、海の向こうにある遠い遠い異国の地に住んでいる鼻の高い人たちだって。 みんなみんな、きっと幸せになりたくて。 青い青い空を見上げながらそんなことを考えていると、隣に誰かが座る気配がして びっくりして視線を移したその先には、見慣れたはずの、久しぶりにみる姿があった。 「……平助、」 「…なんか久しぶり、新八っつぁん」 軽く手を上げて平助は言った。その顔は幸せそうにも不幸せそうにも見えなかった。彼の近頃の表情は、いつもそうだ。 その表情を浮かべる彼自身の姿さえ、最近はまったく見ていなかった気がするのは、気のせいではないだろう。 「…ん、久しぶり」 それなのにそれに気付いていないように普段どおりに笑うふりをする俺は最低だ。 でもそれに気付いているはずなのに気付かないふりをして笑わない平助は、もっと最低だと思う。 それを面と向かって言う勇気も気力も俺にはなかったから、心の中でもう一度だけ、不幸か幸福かも分からない顔で庭を見る平助に最低だと呟く。 けれども久しぶりに顔を見ることができた。安心した。 俺は今、幸せだ。 しばらく2人で黙ったまま、ていうか俺は話そうと考えたけど何も話せないまま、座っていた。 どうすればいいのだろうか。元気だったかと聞くべきか。元気を出せと言うべきなのか。 元気ではない事はすでに分かっているし、俺は別にこいつの空元気がみたいわけではないのに、そんな言葉ばかりが浮かんでくる。 気の利いた言葉が見当たらない。俺の口は、こんなにも不器用だっただろうか。 そうこう考えているうちに、先に口を開いたのは平助だった。 ねぇ、と庭先を真っ直ぐに見たまま、俺の気のせいかもしれないけれど、どこか抑揚に欠けた声で。 「昨日、左之が団子くれた。うまかった」 「!……そ、か…よかったな」 「なんかさ、どこやらの限定品だとか言ってたけど、多分総司が買ってきたやつだよね」 「あ、いつ、質より量だもん、な」 「だよねー、後で総司にお礼言っといてくんない?」 「……っや、自分で言えよ」 「だって今総司鬼みたいな顔で稽古してんだもん、怖くて近寄れねぇって」 「俺だって近寄りたくねぇし…」 「あー、まぁ…そこは二番隊長さんの実力でなんとか」 「なんねぇっつの」 いったん話し始めた口からはするすると言葉が出てきた。でもそれは平助の言葉に対する相槌とでも言おうか、適当に受け流すためのぎこちない声で紡ぐ言葉ばかりで 団子を買ってきたのは本当に左之でお前を気遣っていたとか、 総司の鬼みたいな顔は今日もまた嫌な夢、おそらく数ヶ月前にいなくなった彼の夢、を見たせいで、とか 本当は、俺はお前が出てくるのをとても待ち遠しく思ってたよとか もしかしたらこいつを幸せにしてくれそうな言葉は、決して出てきてはくれなかった。 平助は、相変わらず不幸なのかそうじゃないのか、よくわからない顔をしていた。 もうすこし時間が経つと、部屋に戻る、と平助が縁側から腰を上げた。 俺はただ残念だと思った。 けれどもこんなこの人らしくないこの人の顔を見ずにすむことには、実は俺は少し安心していたかもしれない。 こんなことを考えて悲しくなる俺は、不幸だ。 ねぇ、と立ち上がった平助が言った。俺はそれに少し肩を強張らせた。怖かったわけではないと思う。 「幸せ?」 「え、」 「今、幸せ?」 突然の質問に少し言葉が詰まった。びっくりしたんだと思う。 質問の意図がまったくつかめなかった。こいつが何を考えているのかさえ。 俺はそれがとても悔しかった。平助の言葉にはいつも脈絡がなかったけれど、こいつの考えなんて俺は何でもお見通しだと思っていた。 俺は今、とても不幸だ。 「っ、……さぁ、な…」 相変わらず気の利いた言葉は出てこなかったから、わかんねぇよと言葉を濁した。俺は今、とても不幸なのに。 でも平助は、ふぅん、と鼻を通したような声で返事をしただけだった、すぐにぺたぺたと廊下を歩いていってしまう。 俺の不器用な口は、またな、とも今度稽古の相手しろよ、とかも言えなかった。 せめて、聞き返せればよかったのに。 俺を見もしなくなってしまった平助、自分のおそらく一番大切な彼は、はたして幸せなのだろうか。 それすらも、俺はもうわからない。 これからあいつはもう俺を呼ぶことも見ることもしなくなるだろう。俺の幸せは端からどんどん崩れていくのだ。 あいつ以外は俺を幸せにはできないのに、その平助はもう俺を見てもくれない。 幸せになれない俺が生まれてきた意味は何なんだろう。 それに気付いてしまった俺は、やっぱりとてもとても不幸な人間なのだ。 (お偉いさんでも武士でも商人でも農民でも、海の向こうの鼻の高い人たちでもいいから)(どうか俺に幸せをください) --------- 08 3/3 |